2024年12月2日 午後0:40
「Style Wars」を観なおした。80年代初頭のNYヒップホップシーンを記録したドキュメンタリー。公共物である電車に行うグラフィティは一度に何百万ドルもの損害が生じる犯罪で市民にとってもただの迷惑行為。しかしたとえ自分達にしかわからずとも彼らはこれが重要で素晴らしいものだと強く確信している。やがて彼らの表現はアートマーケットとも結びつく。描く先は電車からキャンバスへ。それも彼ら(全員ではないだろうけど)にとってやぶさかではないのだ。だって自分達の表現の価値を人々に証明できたのだから。お金という指標で。別にそれに対してどうということはないのだけど、人間がもつ漠然とした、でも切実な、表現への希求の源泉とは一体なんなのか、信念とは何か、みたいなことをかんがえる。
2024年12月2日 午後9:31
これはもう純然たる
まさに風邪でしかない状態
2024年12月3日 午後0:42
田中有芽子さんの「私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない」を読みなおす
2024年12月4日 午後0:59
進めれてない作品の題材の話。異なる時間や、横に広い空間を一枚に閉じ込めて描くというより、空中、上空、地上、水中、地下、海底、といった、縦に広い空間をひとつの画面上に構成する絵。怪獣シリーズはまだ言いきれてないことも多い。私はそれを「判断留保を強いられる流動的なモザイク状のかたまり」とかいったけど、それは他者の言い換えかつ表現の実験場も意味したと思う。ただ同時に作品が漠然としてることへの現状肯定にもなり結果としてちょっと行き詰まってた。怪獣は「なんなのかよくわからない生物」なのがポイントだけどだからこそ単にそのままだと手掛かりのバリエーションに幅を持たせずらくかつ曖昧を維持し続けようとすることが相まって結局制作がその日の自分の気分に依拠していってしまう。この縦の空間という手がかりはそのの打開のアイデアでもある。でもなかなかできてないや。。元々がっつり制作できる環境ではないので最近はどこでもできる文を書く練習をしてみてるけどふと自分に出来てないこと(制作だけじゃなくて色々)ばかり浮かぶ、へこむ、そして風邪へ。
2024年12月4日 午後9:44
けっきょく風邪じゃなくてコロナだった。。
半年前にもかかったのになー
2024年12月7日午前1:40
美術手帖の次号は陶芸なんだ。それはともかく先日の陶芸体験初回は花器をつくろうとして思いのほか時間がかかり結局終わらず最後苦し紛れにマスコット的なのをいくつかつくったんだけど、次回はちゃんと花器を完成させるぞ。あと香炉つくりたい。なんで花器と香炉かというと単に自分が欲しいから。
2024年12月7日午前1:47
あたまがまだいたくてやだ
2024年12月9日午後3:24
体調ほぼ復活した。忙しかったり何かに集中する期間のあといつも反動で体調を崩したりするのをどうにか克服したい。というか基礎力を上げたい。世の中の人はみんなうまくやっててえらいなぁ。個展前後からずっと手が回らなくなってた細々した習慣ごとをまた少しずつ復活させていってる。
2024年12月10日午後0:51
Et nous serons à nouveau seuls et ce sera pareil. Et il y aura une autre année de passée.
(フランス語微塵もできないのにかっこつけてる)
2024年12月11日午後7:45
犬でも猫でもない、かなり絶妙な大きさの獣をみた。ソニックザヘッジホッグのごときスピード感と軽やかさで目の前を横切っていった。きっと狐だ。ドキドキ…。その道沿いの川でよく鴨が列をなして泳ぐのでつい目を奪われる。私がいかにさりげなくを心がけても、立ち止まれば途端にかれらは目線をそのままただ泳ぐスピードを何倍にもなさる。お気付きになられているのだ。亀のみなさんに至ってはチラ見するだけで逡巡の余地なく秒速で水中にダイブされてしまう。え、そんな?というほど。少し傷つく。そして、そういうことなら、なんだかもう悪いよなとおもってるのに、やっぱりついみてしまったりして、そういう自分に少し嫌気がさす。たぶん幼稚なんだとおもう。
2024年12月13日午前8:01
岸田劉生は30歳から日記をはじめたというけど最近そういう感じがわかるような気がする。岸田さんはそれから1日も欠かさず書いたというのでそれはすごいなあと思ったら、その前に何回か試みて途中で挫折してるらしくて親近感。私も日記を昔ノートに書いてたけど高校の途中頃から書かなくなったな。その頃は毎日必ず書いていて、それからふとやめてみようとおもってやめたら、もうなんか書けなくなっちゃったんだよな。そのあとも度々やろうとしたことはあるけど、うまくいかなかったな。
2024年12月13日 午後0:55
ふと蜻蛉日記を読んでみようと思ったけど少し調べてすぐにやっぱりなんかちょっとわしにはまだ早い気がしてやめた。いつか読むのかな。それで土佐日記を読んでみている。わしも何かとねじれこじれてるところがあるかもしれないけど紀貫之もなんか色々大変だったのだろうか。表現の挑戦という意味ではなんだかあこがれるような感じで、建前や設定をこしらえることでようやく吐露できるものがあったのだとしたら、共感もするような気がする。
2024年12月14日 午前9:12
和歌、むかしの人の空や水や雪への眼差しが知れて勉強になる。
空にのみ 見れどもあかぬ 月影の 水底にさへ またもあるかな
はなはだも、降らぬ雪ゆゑ、こちたくも、天つみ空は、雲らひにつつ
2024年12月15日 午前9:17
川端康成の「禽獣」読んだ。寂しさや厭人のあるひとが動物に対して自らの情を重ね、好きな人を思い出しながら育てる話。庇護欲の裏にある複雑さや交配というテーマは昨日観た森美術館のルイーズ・ブルジョワ展に共通するといえるかもしれないけど、両者の違いをうまくまだ整理できていない。
2024年12月15日 午前11:15
万人が用いるメディウムといったらやっぱり人生で、そこに立ち向かわなければ作品もなにも上滑りするばかり
2024年12月15日 午後4:09
川端康成は禽獣を34-5歳で書いたんだ、目眩がする
2024年12月15日 午後5:25
川端康成が禽獣を書いてしまったことを嫌悪したように、私も禽獣を読まずにいられなかった自分を嫌悪しているのかもしれない。でもそれはもう仕方がなくて、別にもう何に嫌悪されてもいい。みないふりをするほうが罪だとおもう。自分のことを自分でいかにどうするかという問題
2024年12月15日 午後7:08
読んだだけでめっちゃ自己嫌悪になったり、他人もあれもこれも気持ち悪くなってきたり、とにかく禽獣はやばい!相手を助けるつもりの行いはむしろ更に傷つけることになってしまうこともあり、それでも誰かの力になれたような嬉しさや、あるいはどこまで介入するか迷いをもつ。でも実ははむしろ自分がかれらに癒されていたりする。そういう(本人もどこかで自覚する)傲慢さが禽獣には描かれていて、動物を飼ったことがあるひとはきっと感じたことのある後ろめたさだとおもう。
2024年12月15日 午後8:21
私は基本的に自分のことを気持ち悪くて傲慢で間違った存在だと感じる。だから本当に、いつも何かとすみませんでしたと思う。でもゆうて、みんなだって随分いい加減で無責任で不埒でしたたかで狡猾で白々しい、信用ならない人たちだと思う瞬間がたくさんある。話を禽獣に戻せば、人は罪の意識を持つことができても、ほかの喜びによって容易く忘れることができ、でもそんなずうずうしさこそが生きていくうえで必要なことなんだと思う。
2024年12月16日 午前7:59
短編なのに禽獣のあまりの破壊力に身がもたず、私の日曜日は余韻で消えた。土佐日記しかり、破り捨てたくなるほど自分で嫌になるような作品に力が宿るのかもしれない。自分語りのつらみ。
2024年12月16日 午後10:42
「禽獣」の非情に打ち拉がれた私は、いまや「抒情歌」にある別の胸の苦しさに翻弄されています。目線は確かなままにめくる頁の指先が震え気が遠くなります。あなたはこの私の浅学菲才には、お笑いになるどころか一瞥さえありますまい。ならばどうかここに漏らす不遜な感嘆をお許しください。あっぱれ
2024年12月17日 午後6:41
国立科学博物館「鳥 〜ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統〜」とても良かった。まず来場された方々が楽しそうにされている様子が印象的で、鳥を調べ考えてきた方々の軌跡、それを見せるためにまとめる方々の工夫、何より鳥そのものの多様さと魅力に引き込まれ、全体的に今の自分にすごく響いた。
2024年12月19日
“「彼らは私に自分の額縁を作ることを禁じている」とエドヴァルド・ムンクは1906年に書いているが、注目すべきことに、ノルウェー語ではなくドイツ語で書かれており、とらえどころのない「彼ら」の正体に関する追加の文脈は提供されていない。”
“この謎めいた発言は、この芸術家の額縁が同時代の人々の一部に特に好評ではなかったことを示唆しており、実際、他のいくつかの情報源から、ムンクの額縁が頻繁に議論や論争の対象となっていたことが明らかになっている。”
2024年12月21日
ひとは自らの志向する、または身に覚えのあるアプローチを遠くにいるようなひとに見つけたとき、そこに何か自分にはない爽やかさを感じ、自省することがある気がする。それは別の時代を生きた人、遠い土地に住む人、あるいは異なるジェンダーの人であることもある。ここで私が思い出すのはヴォルフガング・ティルマンスだ。彼はシニカルさを嫌う。でも私は時々シニカルになってしまう。そんな自分を嫌だなと思いつつ、それは今では大切な護身術の一種になってしまった。そう思えば尚更いろんなことが嫌になるけど、そこを見つめずに、対外的にも偽るのは違う気もする。そんなことをぼんやり考えていたある日、たまたま立ち寄った近所の市民文化施設で、ある振付師でタレントの方の講演が行われていて、予約なしでも聴講できるというので参加した。その方は、クィアで複雑な家庭環境に育ちながら、人と関わり向き合いお仕事に邁進されて来られたことを、にもかかわらず笑いを交え、出会った人への感謝を交えながらその日せきららに語られた。明るくて可愛らしくてでもどこか少し儚さのあるとても素敵な方だった。最後に司会者の方が、語られたその方の人生に触れながら、でもそんなに明るくてすごいですねというようなことを言った。その方はそうですかねぇと謙遜しながら「でもこんな風にしか生きられなかったのだと思います」と笑った。それが記憶に焼き付いた。そしてなんとなくティルマンスのシニカルの否定と重なった。私が憧れ惹かれ共感するのは、そんな前向きさであったことに思い至ると同時に、自分の未熟さに恥ずかしくもなる。私はティルマンスと彼の作品に学ぶことがたくさんある。でもティルマンスと私は違う。違うということに前向きさを見出せることもあるかもしれない。謙虚に学びながら、違いの細部を確かめて、自分の道をみつけたいとおもうのだった。
2024年12月25日 午後7:08
こういうのも大事かと思ったので、最近Xを以前より頻繁に更新するようにしてるなかで、改めてSNSって不気味だな、やだな、って思うことは多々ある。誰にやれといわれた訳でもないのだからまじで嫌になったらやめればいいんだし、適当にぼちぼち続けたい。たまに更新するより頻繁にやる方が自分のダメなとこ・キモいとこはもちろん、書き言葉の癖も目の当たりにして向き合う感じがある。周りの人のことも改めて冷静に見れたり、人への想像力や教訓も身につく気がする。されて嫌だったことは人にしないようにしようとおもう。
2024年12月25日 午後7:18
和田唯奈「ぽっかりちゃん」読んだ。次のページをめくったらびっくりしたり、めくるごとに引き込まれていく絵本特有の体験やリズムに改めて気付かされたり、彼女が構成する絵画空間の多様な取り組みをゆっくり観ることができて、和田さんという作家を理解するうえで大事な作品のような気がしました。
2024年12月25日 午後7:20
今年は前半は地味・地道だったけど後半は瞬く間だった。反省点も多々あるけどいっこずつ小さな課題や目標に分解したいな。新しいことにも挑戦した。回帰と越境を蛇行しつつ、方向感覚を失わないようにするかんじ、、きょう、日就月将という言葉を知ったけどそうあれたらいいな、自分の納得いくかたちで
2024年12月26日 午後6:50
動物・植物・バクテリアなどと(共同)制作する作家さんはつい注目してしまうけど、ただ自分がそういったアプローチを正面から取り組むことにはずっと躊躇いがあった。あくまでイメージを借りるていでアプローチするのだ、という建前を内心で唱えつつ、しかし、同時に、染料・顔料・展色材・支持体といったものは、植物・鉱物・石油・皮膚・骨・卵・乳などから出来ていることもずっと気にしていたのです。今年から作品に羊毛を取り入れてみたのは、そんなところにそろそろ手を入れなくてはという意識もあった。ただ絵画という設えや絵具など馴染みの素材だと、逆に動きずらい感じもあり、少し別のところにいく必要があったんだとおもう。それらの作品は、天然繊維と化学繊維、金属ワイヤー、メラミンスポンジなどが組み合わさって出来ている。
メラミンスポンジは、別名では「Magic Eraser」など、「消すもの」という単語が入っていることが多い。こういうことをおもうとき、やっぱりスパイラルジェッティってロマンやなと思うけど、でも私は多分また違うので、そういうことについてもっとちゃんと考えなきゃなんだろうなー。
2024年12月26日 午後7:23
私は言葉が別に得意ではないし、こんにちちょっとした言葉選びにもエクスキューズがいるのに一度にできる話の範囲なんて限られていてその限りにおいて解釈や判断をされたり何か切り取られて伝えられたり、探られたり、面白がられたり、自分のわからない場所でそういうのが起きてる感じが悲しかっただけ
2024年12月28日 午前10:11
Twitter、鳥のロゴに黒目がついてたときからしてた(これ2代目)しmixiも前略プロフもヤプログもふみコミュもみゅうはぁともハンゲームもリヴリーもmf247もおもしろフラッシュ倉庫も好きだったしy2kも好きだけど私はそんなに昔のインターネットをやたらと懐古し続けるひとの気持ちわからない(懐古してる)
2024年12月30日 午前9:10
昨日はとにかくお休みがうれしすぎて、喉が渇いたときに水を飲むみたいに眠りまくった。夜はたねさんのおうちでとんかつをいただいた(おいしかった…)そして帰ってまた爆睡した
今日こそ大掃除するぞ
2024年12月31日 午後5:36
ここに書けるようなことは少ないのだけど、冷蔵庫に貼った今年の目標リストは割と叶えられ、今までと違う集中の仕方が出来てけっこうよい1年だった。もちろんできなかったこともあり、体調や自己管理不足など反省もあるが来年も引き続きやってゆく、今年も仲良くしてくれた人たちありがとうの気持ちだ
ともあれいまいまは、へとへとだ
2024年11月4日 午前0:39
私は低出生体重児というわけではなかったが、幼児のころは日常生活でハンデが生じることも多くあったとおもう。とはいえ当時の私はその事実と自意識にけっこうギャップがあり、自分に対する周囲の対応に困惑し苛立っていた。サッちゃんという童謡が苦手だった。そもそも歌詞に出てくるのはサチコなのに紗千である私に彼女を投影し、大人から半笑いで歌われるのは正直いつもイライラした。特にサッちゃんはバナナを半分しか食べられず、それは彼女は身体がちいさいからでかわいそうだという歌詞は実に不愉快だった。というのも、そもそも当時の私はバナナがあまり好きではなかったからだ。私がバナナをたくさん食べないのは身体のせいでは断じて無いにも関わらず、「おかしいね」「かわいそうね」とうたわれる(今思えば単に微笑ましい眼差しだったのかもしれんが)ことに対し憤慨した。でもその当時のわたしは返す言葉を持ち合わせていなかった。正直いまも、あまり冷静には聴けず、やるかたない思いになる。日本全国に同じおもいをするさっちゃんも多いのではないだろうか。苛立ちながら同時にしかし、相手の勝手な解釈に則り、それに反発するかたちであえてバナナをたくさん食べるといったことも、ずいぶんバカバカしい話ではないかとも思っていた気がする。形と解釈にたいするあるべき態度とはなんなんだろうな。
2024年11月6日 午後8:17
ヴォルフガング・ティルマンスに惹かれる理由のひとつは、ひとたび彼の展示空間に立てば(あるいは写真集をめくるときでさえ)、自分の身体のスケールから解き放たれるような身軽さを感じられるからだった。例えばあなたがもし200号の絵を前にすると、「大きい絵だ」と感じるだろう。けれども彼の巨大な写真を目の前にすれば、それが大きいのではなく自分が小さくなったかのように感じるかもしれない。つまり自分自身のこの身体と、目の前の大小多様な画像群は、まるでベクターデータが解像度と無関係に存在できるのと似ているかのごとく、尺度の単位から解放された空間にあるのではないかという感覚を与えてくれる。それはきっと、彼が天体写真と接写、それからスクリーンショットを並列することと無関係ではないだろう。
2024年11月9日 午後9:46
スケールや形のこと考えてるうちにロバート・スミッソンのことを思い出したんだけどスパイラル・ジェッティ制作時の話はとてもよい。
2024年11月13日 午後0:36
唐突につぶやくとWeibermacht的なものへ憧れを持つのはその人の勝手だけど、残念なことにわしはそんなごっこ遊びは全然向いてないだろう。でもそういうのが好きな方々はたくさんいるから、需要と供給は成り立つんだろうな…。それは別にいいんだろうけど。。わしって一体。。。。
2024年11月13日 午後8:12
20世紀初頭のドレスデンにて結成された、芸術と生活の境界の溶解・一体化を志したとされる、表現主義の芸術家集団・ブリュッケは、作品と展示空間の仲介者ともいえる額縁を作品と分かち難いものとして考えていた。
2019年開催のブリュッケ美術館の展覧会:
2024年11月13日 午後10:32
ロシア国立美術館研究員のОксана Лысенкоさんは額縁の歴史を専門としており、2005年にはロシア国内初の額縁をテーマとした展覧会を企画している。
«Одеть картину». Художественные рамы в России. XVIII - начало XX века
2024年11月14日 午後0:06
額縁、それはまさに「周縁」…。
2024年11月17日 午後10:12
以前は無限に運べた重いものが最近全然持てなくなっててショックだった。筋トレ、だよお。
かねてより作品の(アン)ポータビリティになんとなく意識的なところがある。作家によってそれぞれ色々あるだろうが、すくなくとも自分にとっては作品が「運びやすい」ということは、けっこう重要なことのようにおもう。2015年ベルリンで画材屋から手持ちで運べるキャンバスサイズの限界を感じた。その翌年は毎週広島から東京までバスや新幹線の手持ちで作品を運んでいた。改めて語るにはあまりに素朴にきこえるかもしれないけどなんか重要な経験だった。ものがAからBへ移動することは大きくても小さくてもひとつの達成だ。多くのアート作品は、けだしほぼ眠るかそのまま消えてゆきがちなもので、時代や環境など複数の条件がぴたりと揃った瞬間・期間にその力が忽ちに立ち上がる、といった類いのものなのかもしれない。であるならば、その意味合いにおいて理にかなっているのかもしれないが、しかしどうも今のところの私は特定のデバイスや動作環境に依存しがちなデジタルメディアよりも、顔料・染料・繊維・みたいな素材に傾きがちだ。もちろんこれらの素材が「デバイス的なもの」と「動作環境的なもの」と無関係だと言っているわけでは全然ない。
2024年11月18日 午後8:40
ティルマンスの写真集に掲載されている彼のテクスト「The Cars」を読んだ。
「10代のとき借りた車で街中や田舎道を運転する間の、個人的で自由な時間。だって車に特有なのは、バスや電車と対照的に個人的で自由な空間なのだから。でも車は何よりもまずaからbへ移動するための手段であり、感傷的な意味合いを過大評価すべきではない。」
「車は必ずしもステータスの証とは限らず、単に必要に迫られたものだったりする。(…)車を所有する何百万もの人々にとっては、それがどんなに小さくても古くても速くても遅くても関係なく、人生におけるひとつの大きな分岐点だ。」
2024年11月19日 午後11:50
シルヴィア・プラスの「ベル・ジャー」を読んだ。
目の前の現実への策案、プレッシャー、絶望と妄想に、自意識と潔癖が混ざり合い、じわじわと病に視界が狭まり混沌としてゆく過程は、けっこう引きずられるので休み休み読んだ。マイク・ケリーの作品にも引用されてる。主人公エスターはたしかに深刻に病んでいくのだけど、絶望するような出来事に加えて勝手な臆測で結論づけ、更にひとり落胆…みたいな思考パターンや衝動的な行動の繰り返しは、レビューとかでもみんな書いてるけど、なんとも身につまされますな。
2024年11月20日 午後7:29
わたしは一貫して学校が苦手。けっきょく一度も馴染めたことなかった(授業を受けることは好きだったけど)。小学校も中学校も行かなかった。ある日わたしは、どこかの小さな部屋に行くことになった。窓には鉄格子がついていて、木の絵を描くようにいわれた。バウムテスト。空に太陽と鳥、太い幹にふわふわの葉が生い茂り、たくさんのリンゴが成る木の横で女の子と動物が仲良く並んでる絵を描いて見せると、以後そこへ行くことはなかった。小学4年の担任の先生は電話で「さっちゃんは学校に『行けない』の?『行かない』の?」と聞いて、行かないのだと伝えて切った。授業にいないから先生も成績の判断のしようがなく通知表の評価欄はいつも斜線だけでそのときのお母さんは悲しそうだったけど、両親と家庭教師の先生にはすごく感謝している。メンタルヘルスのせんせい?みたいなのがなぜか毎週家にきていたときもあったけど、そのせんせいの方がむしろずっとしんぱいな感じがあった。お互いの人生の折れ線グラフを書き合ったりして、せんせいの人生のくぼみ部分のわけをきいたりした。
2024年11月22日 午後7:56
高村(長沼)智恵子を少し調べていた。夫・光太郎について、智恵子が病に至る前の彼のあり様を批判する視点というのは無論あろうが、やっぱり、全体として私はなんともいえずにいる。智恵子の病が気の毒だったのは違いないが、なんだかただ、両人への好感のようなものが増すばかりでいる。なぜかふと映画ドライブ・マイ・カーを思い出す。主人公(特に後半)への若干のなんやねん感はある気もするが、かといってドライバーの子が不憫だとか都合よく利用された等とも私はおもわない。そう見ることはむしろ彼女に失礼な気もする。高村夫妻とは全然別の話だけど。
2024年11月26日 午後0:49
陶芸体験。なかなかむずく普段の表現での課題点と同じ困難が粘土のときにも出る点もしてなるほど感。ところで適切に形成しなければ焼くとき爆発するらしい。知ってたけど改めて爆発とは素朴にやばくて反芻する。爆発。今まで用いたいかなる素材も爆発する可能性などなかった。爆発への忖度としての造形。当たり前のようだけど、粘土では、摘んだ指先が直接ことごとく立体的な形になってあらわれるということがなんだか新鮮に感じる。にもかかわらず意外と意識と形が結びつかないように感じて困惑する。それがまた楽しいけどすでに私は広げた風呂敷があるため陶芸は一旦は体験遊び息抜きに留めておきたい。
2024年11月26日 午後0:51
特別なひとがいたとしてその人と同じジェンダーの人とちょっと関わったからっていちいち深い意味合いをもたれていたらこっちはまじでなんもできんのであって、なーにがジェンダーバランス不均衡へのアファーマティブアクションの必要性や。寝言は寝てるときに言って頂きたい。なんとなく一回消したけど再投稿した。ただのイマジナリーフレンドとのダイアローグなんで。せきらら(世界はキラキラ)に生きてゆきたいんで。とにかく抑圧(勝手にしちゃうようになるの)はやなんだもん。だから言いたいこといっただけだ。別にどうせ無なのでいい。
2024年11月27日 午後0:22
7年前いよいよ始まったかに思われる私の芸術の道を振り返ってみればその出発点はこんにち当事者性とも言い換えられる私小説的表現といかに距離を設けるかという葛藤ではなかったか。然らばせきららであれ。けれどそこに溺るるなかれ。あえて自己を露呈する日があれどそこにだらしなく立ち止まるな。しかし高村光太郎はいう、「美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識というようなものだけでは決して生れない。そういうものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあっても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。」と。なるほど、愛のやりとりとはなんだろう。智恵子にきいてみたいものだ。他方、我々は「ふだん愛の言葉を必要としない」そうだ。「けれども、いかなる関係にも危機は訪れる。愛の言葉が必要になるのはそのときである。」ここに手に取る別の本から、そんな声が、今きこえる。「ひとは、ときに滑稽になる勇気をもたなければ、前に進むことができない。」果たしてこのようなわたしの有様もまた、吉本隆明ならば一人相撲というのだろうか。
2024年11月27日 午後3:13
なんかさいきん文体を模索しとるな
2024年11月28日 午後0:46
あんまよく知らない(すみません)けどキラキラって単語も今だとちょっと政治的になるかんじだったのかあ、たいへんだ
2024年11月29日 午後0:55
文字にフォントがあるように、うたに声があるように、絵には絵具があるのだと、そう言っていいのだろうか。でも文体が変えれば文章の印象はずいぶん変わる。それはフォントや字・行間とは別の問題で、かつその組み合わせの妙もあるのだろう。絵にとって文体のようなものがあるとすればそれはなんだろう
2024年11月29日 午後7:19
私はジャンルや媒体を問わないいわゆる領域横断的な?作家に憧れる。私の「作風」が固定してないことの理屈をちゃんと自分で把握したい。一貫したテーマや概念的なものなどを提示できれば解決すると考えていたがどうも息苦しさだけが増す。もっと表現の仕組みから自分なりに把握する必要がある気がする。
2024年10月1日
体調不良。ごはんを食べて、水をたくさん飲んで、たくさん寝た。そしたら結構回復した気とおもう。
2024年10月6日
朝からこの間の展示の荷物を受け取ったあと、東京都現代美術館の「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」を観た。近況や展覧会の感想などしつつビリヤニとソフトクリームを食べて、お酒を飲んで楽しかった。でも私の気分が暗すぎた。
2024年10月10日
ラファエル前派が額縁デザインに革新をいくつももたらしていたらしいことを知った。特にロセッティがいろいろやってたらしい。
2024年10月14日 午後4:21
アートコレクターズ2024年10月号 令和のペインターを読んだ。
2024年10月25日
レンブラントのHerman Doomerの肖像画をみた。
彼の額縁を製作していた(肖像画を描いてもらった支払いの代わりに製作した?)職人であり友人でもあったらしい。
2024年10月29日 午後8:24
めがねを失くしてからずいぶん経つけどまだ見つからない。おんなじ形のが意外と売ってない!もしめがねの形がかわったら、またコロコロ変わって自分がない人だとか言われるのかなあ。でも本当はそんなのの実態はただのロールプレイで、本当にどうでもいいことだとおもう 自由とか強さってそんなのじゃないとおもう。
あーあ
つまんない
2024年10月30日 午前5:43
社会一般が要求するドレスコードをあえて読まないかっこよさはあるだろう。そして似合ってればとても素敵だ。しかしそれもまた一種のドレスコードと言える。一見強く自由にみえたとしてもそれが成り立つ条件が崩れたとき途端に脆弱なものになることを留意すべきで不用意に賞賛することに私は感心しない。
そんなことより今のわたしに必要なのは、もっと別のコーディング技術なのだわ。。。態度が形になるのも大変結構だが、形と態度がのべつ結びつけられるのはときに息苦しい。形から解き放たれた態度のありかたもないものだろうか。