1月1日
年末年始、ひたすら大掃除して疲れたら眠るを繰り返してる。大晦日の夜に観た夢は初夢じゃないんだっけ。じゃあこれは2024年最後の夢ってことになるのだろうけど、それは竹藪の夢だった。わたしは夢の中でも疲れていて、竹藪の中にある小さな広場みたいなところにたどり着いた。そこには白いふかふかのお布団が敷かれていて、思わずもぐってぐっすり居眠りした。目が覚めたら見知らぬお布団の中で、一瞬の「?」のあと、やるべき何らかの作業をはじめたんだけど、やっぱりちゃんと戻って続きをやろうとおもって起きて歩きはじめているころ、目が覚めた。歩きながら何人かの知人とすれ違った。
1月2日
雑務が本来終わらせたいところまでまだ到達しない。大学のとき好きだった(またはもっと真面目に受けとけばよかったなど未練のある)講義のレジュメ、いまだにとってある。みんな捨ててるのかな。2年生のとき描いたマルティーニの受胎告知の模写はまじで目も当てられないほど下手なのだけど、未練というより反省・教訓の結晶として残してある。来月から始まる目黒区美術館の展示は行こうと思う。
1月4日 午後7:09
実家を出て10年が経つ。数えるとその10年間で7か所に住んでいた。思いのほか多く、そのときの自分はあまりにたやすく引越しすぎではないか、とおもう。でもいずれにも後悔はなく、すべてがそのときのわたしにとって必要な引越しだった。わたしの故郷は山と海に囲まれていて平地がほとんどなく、山の斜面に家々が建ち並んでいる。窓から外を眺めれば、そこには別の山、というか住宅が密集するかたまりが壁のようになっている。内陸で生まれ育った人のなかに海へ強い憧れをもつ人がいるけれど、わたしは平地に流れる大きな川や広い空をみると「べつの場所」だと思う。それは特別な気分だ。
先日ある展覧会でみた作品で埼玉の入間川の伝説を知った。空に二つの太陽が昇り草木田畑が枯れ果てたので弓矢の名人に片方を狙わせたという話。埼玉の平地に横たわる川に二つの太陽が浮かぶ様子を想像すると、なぜか身に覚えのあるような気がする。
埼玉で朝の白い太陽の光をみるとよく厳かな気分になる。しかもそれは川沿いを歩いていたときだったりして。この伝説によれば、片方の太陽は魔もので、名人が見事それを射止めると3本足のカラスに変わったそうだ。天空に光る、輪郭のぼやけた白い丸が、真黒の3本足のカラスに成り変わり、音もなく落ちていく光景もなぜかやけにリアルに想像できるような気がした。
異郷で描かれた絵画をそれが描かれた現地で見ると、その土地の気候、つまり光がいかに作品の色彩に影響を与えたかを、実際の体感として理解できる気がするが、太陽の光の見え方は、もちろんその土地の地形によっても大きく変わる。つまり作家の住む場所の見晴らしが作品に及ぼすものもまた、やっぱりあるのだろう。
1月6日
「縦の空間」の構想について。それは2019年の「空中水槽/水中空港」という作品に端を発する。当初、室内空間の設えを頼りに描かれ始めた怪獣の連作はその閉塞的な場をいかに解体するかという過程でもあった。
それはシルヴィア・プラスが小説で綴るガラスのベルジャーや、あるいはワーナー・ブラザーズ映画のタイトルロゴ映像の冒頭における街並みの俯瞰(天空ではなく水中のように歪む、表面または反射でもあるイメージ)にも重なるかもしれない。
つまりわたしは怪獣の絵画の時点から、外側と内側への複数の視点が、鳥瞰(虫瞰)透視、同一の空間にありながら、同時に「移動」を意味するような1枚の絵を目指していたのだろう。そして、かねてより意識していた怪獣の問題(他者、その表現の実験場としての姿や空間をいかに描くか)が整理されないまま同時進行され、その結果、怪獣の描写はますますなおざりにされ、だんだん丸粒になっていった。
1月10日
父がおもむろに防刃手袋をプレゼントしてくれた。わたしは冬に指先の切傷をすることが多々あるんだけど、数年前のお正月に指を縫合して以来怪我しなくなっていたが最近ぼーっとしてるので改めて気を引き締めたい、、怪我も病気もやだ
1月15日 午後7:33
なんだかな………
むなC
つまんない………
勝つ?みたいな方法があったとして、勝ったところでそもそも自分にとって虚しいゲームにははじめからのらないというのは、たとえ誰にどうみられても、なんといわれても、長期的にはむしろ大事なことだと思ってやってきたしこれからもそうしていきたい…
1月17日 午前5:27
個人的な関心において2022年は改めて振り返るべき重要な同時多発的なものがあったようにおもう。この時期わたしは生活の一部が変わり、またはじめて雪をモチーフとした作品を発表したが、ほかにも国内外で水や空気を扱う作品が多く発表されている。のちにわたしが関心をもつことになる羊(毛)を扱った作品もいくつか見られる。
1月18日 午後1:18
シルヴィア・プラス 小澤身和子訳「日記 一九五〇年~一九六二年」を読んだ。ベル・ジャーを思い出しながら読む。その文章力で自身の状態や人をどうみてるかを正確に正直に分析しようとするさまに改めて惹かれる。
問いの設定や思考のプロセス、執筆業において担う(担わない)領域、あるいは教育、より他分野、つまり「仕事」について書かれた部分がよかった。
ただプライベートなところについてわたし自身をふりかえるとき、わかる気がする部分と全部にはのりきれない感覚が宙にふわふわ浮かび、その脇にはいまひとつ感想が出てこないルイーズ・ブルジョワ展の景色も見える。
これはわたしがまだプラスほどの分析力をもちあわせていないことを示しているが、分析が進んだとしてわたしはそれをどのように使うかにきっと慎重であるべきで、そのことに怯えているところもあるのかもしれない。
閑話休題。少しだめなとこのある人を目くじら立てて批判するより、そもそも人って多かれ少なかれだめなところあるものだと先に自分を露呈することで周りも少し楽になれるときがある気がするがそれは自分に特権的なとこなんてないんだいう思い込みの前提のせいで実際にはそうでもない瞬間もあり、ようは反省もある。自分なんて少しの力もない存在なんだと言っている人こそつい猛威をふるってしまう事態は往々にしてありがちでもある。
1月20日 午後7:37
ある時期以後のマルセル・デュシャンについて書かれた文章を読む。https://note.com/koritakada/n/n95042eec5027
むー。
でもこれってぞくにいう、ふぁいやーってやつにもみえる。
アヴァンギャルドとヌクモリティ。
1月23日
人がつくってくれたごはんをその人と食べるとなんか元気になる。なんでだろう。ふつうのふしぎの話。
1月25日 午前10:32
ピーピピピピピカソもダヴィンチも〜♪
1月29日 午前8:52
カズオイシグロの「日の名残り」を読んだ。良かった、。とりあえず途中からおもわずココアがのみたくなって、熱々ココアをのみながら読んだ。というのも、お話はココアが出てくるところから更なる展開へ進むからだ。そう、いわゆる「ココア会議」である。そしてラストへ。。
ズ…(ココアをすする音)
映画版も観ちゃった。
スティーブンスの「信頼できない語り手」としての一人称視点の心理の推移と機微が小説の良さだとすれば、それは映画版ではみえずらくなってしまうけど、役者さんの演技がよかったし映画として再構成するうえでの要約、解釈、それを色付けるための表現、あえてかなり変えてしまうシーンなどを見つける原作とセットの楽しみ方をした。スティーブンスの語り、それはたとえば「憶測、憶測、憶測に過ぎません。」だとか、相手の言動の読みに確信もてないかんじ、自分に言い聞かせるような自己問答、あのとき内心こう思ってたけどうまく表に出せなかったんだ的な独白は、ケントンに会うまでのドキドキ感を盛り上げてくれるし、だからこそ、この一人称の語りと旅の道程を一緒に体験していった末の最後のふたつの告白にブワ(;ω;)だ。もちろん映画も映画で泣けるのだがっ!読み終わって、映画を観て、改めてもう一度ぺらぺらページをめくり読むとなおさら、どこも更にことごとくぐっとくる。あっぱれ。たとえば二日目の朝。「過ち自体は些細かもしれないが、その意味するところの重大さに気づかねばならない」。
映画では、わたしの好きな「ココア会議」は別段強調されないが「いま飲んでるこれ、多分ココアなんだろうな…」みたいなシーンもあり、嬉しい。わたしもあのカップでココアをのみたい。原作と映画、セットで観て楽しむというのを久々にして、美味しいごはんをたらふく食べたあとのように、ふう〜という余韻にひたっている。
2024年12月2日 午後0:40
「Style Wars」を観なおした。80年代初頭のNYヒップホップシーンを記録したドキュメンタリー。公共物である電車に行うグラフィティは一度に何百万ドルもの損害が生じる犯罪で市民にとってもただの迷惑行為。しかしたとえ自分達にしかわからずとも彼らはこれが重要で素晴らしいものだと強く確信している。やがて彼らの表現はアートマーケットとも結びつく。描く先は電車からキャンバスへ。それも彼ら(全員ではないだろうけど)にとってやぶさかではないのだ。だって自分達の表現の価値を人々に証明できたのだから。お金という指標で。別にそれに対してどうということはないのだけど、人間がもつ漠然とした、でも切実な、表現への希求の源泉とは一体なんなのか、信念とは何か、みたいなことをかんがえる。
2024年12月2日 午後9:31
これはもう純然たる
まさに風邪でしかない状態
2024年12月3日 午後0:42
田中有芽子さんの「私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない」を読みなおす
2024年12月4日 午後0:59
進めれてない作品の題材の話。異なる時間や、横に広い空間を一枚に閉じ込めて描くというより、空中、上空、地上、水中、地下、海底、といった、縦に広い空間をひとつの画面上に構成する絵。怪獣シリーズはまだ言いきれてないことも多い。私はそれを「判断留保を強いられる流動的なモザイク状のかたまり」とかいったけど、それは他者の言い換えかつ表現の実験場も意味したと思う。ただ同時に作品が漠然としてることへの現状肯定にもなり結果としてちょっと行き詰まってた。怪獣は「なんなのかよくわからない生物」なのがポイントだけどだからこそ単にそのままだと手掛かりのバリエーションに幅を持たせずらくかつ曖昧を維持し続けようとすることが相まって結局制作がその日の自分の気分に依拠していってしまう。この縦の空間という手がかりはそのの打開のアイデアでもある。でもなかなかできてないや。。元々がっつり制作できる環境ではないので最近はどこでもできる文を書く練習をしてみてるけどふと自分に出来てないこと(制作だけじゃなくて色々)ばかり浮かぶ、へこむ、そして風邪へ。
2024年12月4日 午後9:44
けっきょく風邪じゃなくてコロナだった。。
半年前にもかかったのになー
2024年12月7日午前1:40
美術手帖の次号は陶芸なんだ。それはともかく先日の陶芸体験初回は花器をつくろうとして思いのほか時間がかかり結局終わらず最後苦し紛れにマスコット的なのをいくつかつくったんだけど、次回はちゃんと花器を完成させるぞ。あと香炉つくりたい。なんで花器と香炉かというと単に自分が欲しいから。
2024年12月7日午前1:47
あたまがまだいたくてやだ
2024年12月9日午後3:24
体調ほぼ復活した。忙しかったり何かに集中する期間のあといつも反動で体調を崩したりするのをどうにか克服したい。というか基礎力を上げたい。世の中の人はみんなうまくやっててえらいなぁ。個展前後からずっと手が回らなくなってた細々した習慣ごとをまた少しずつ復活させていってる。
2024年12月10日午後0:51
Et nous serons à nouveau seuls et ce sera pareil. Et il y aura une autre année de passée.
(フランス語微塵もできないのにかっこつけてる)
2024年12月11日午後7:45
犬でも猫でもない、かなり絶妙な大きさの獣をみた。ソニックザヘッジホッグのごときスピード感と軽やかさで目の前を横切っていった。きっと狐だ。ドキドキ…。その道沿いの川でよく鴨が列をなして泳ぐのでつい目を奪われる。私がいかにさりげなくを心がけても、立ち止まれば途端にかれらは目線をそのままただ泳ぐスピードを何倍にもなさる。お気付きになられているのだ。亀のみなさんに至ってはチラ見するだけで逡巡の余地なく秒速で水中にダイブされてしまう。え、そんな?というほど。少し傷つく。そして、そういうことなら、なんだかもう悪いよなとおもってるのに、やっぱりついみてしまったりして、そういう自分に少し嫌気がさす。たぶん幼稚なんだとおもう。
2024年12月13日午前8:01
岸田劉生は30歳から日記をはじめたというけど最近そういう感じがわかるような気がする。岸田さんはそれから1日も欠かさず書いたというのでそれはすごいなあと思ったら、その前に何回か試みて途中で挫折してるらしくて親近感。私も日記を昔ノートに書いてたけど高校の途中頃から書かなくなったな。その頃は毎日必ず書いていて、それからふとやめてみようとおもってやめたら、もうなんか書けなくなっちゃったんだよな。そのあとも度々やろうとしたことはあるけど、うまくいかなかったな。
2024年12月13日 午後0:55
ふと蜻蛉日記を読んでみようと思ったけど少し調べてすぐにやっぱりなんかちょっとわしにはまだ早い気がしてやめた。いつか読むのかな。それで土佐日記を読んでみている。わしも何かとねじれこじれてるところがあるかもしれないけど紀貫之もなんか色々大変だったのだろうか。表現の挑戦という意味ではなんだかあこがれるような感じで、建前や設定をこしらえることでようやく吐露できるものがあったのだとしたら、共感もするような気がする。
2024年12月14日 午前9:12
和歌、むかしの人の空や水や雪への眼差しが知れて勉強になる。
空にのみ 見れどもあかぬ 月影の 水底にさへ またもあるかな
はなはだも、降らぬ雪ゆゑ、こちたくも、天つみ空は、雲らひにつつ
2024年12月15日 午前9:17
川端康成の「禽獣」読んだ。寂しさや厭人のあるひとが動物に対して自らの情を重ね、好きな人を思い出しながら育てる話。庇護欲の裏にある複雑さや交配というテーマは昨日観た森美術館のルイーズ・ブルジョワ展に共通するといえるかもしれないけど、両者の違いをうまくまだ整理できていない。
2024年12月15日 午前11:15
万人が用いるメディウムといったらやっぱり人生で、そこに立ち向かわなければ作品もなにも上滑りするばかり
2024年12月15日 午後4:09
川端康成は禽獣を34-5歳で書いたんだ、目眩がする
2024年12月15日 午後5:25
川端康成が禽獣を書いてしまったことを嫌悪したように、私も禽獣を読まずにいられなかった自分を嫌悪しているのかもしれない。でもそれはもう仕方がなくて、別にもう何に嫌悪されてもいい。みないふりをするほうが罪だとおもう。自分のことを自分でいかにどうするかという問題
2024年12月15日 午後7:08
読んだだけでめっちゃ自己嫌悪になったり、他人もあれもこれも気持ち悪くなってきたり、とにかく禽獣はやばい!相手を助けるつもりの行いはむしろ更に傷つけることになってしまうこともあり、それでも誰かの力になれたような嬉しさや、あるいはどこまで介入するか迷いをもつ。でも実ははむしろ自分がかれらに癒されていたりする。そういう(本人もどこかで自覚する)傲慢さが禽獣には描かれていて、動物を飼ったことがあるひとはきっと感じたことのある後ろめたさだとおもう。
2024年12月15日 午後8:21
私は基本的に自分のことを気持ち悪くて傲慢で間違った存在だと感じる。だから本当に、いつも何かとすみませんでしたと思う。でもゆうて、みんなだって随分いい加減で無責任で不埒でしたたかで狡猾で白々しい、信用ならない人たちだと思う瞬間がたくさんある。話を禽獣に戻せば、人は罪の意識を持つことができても、ほかの喜びによって容易く忘れることができ、でもそんなずうずうしさこそが生きていくうえで必要なことなんだと思う。
2024年12月16日 午前7:59
短編なのに禽獣のあまりの破壊力に身がもたず、私の日曜日は余韻で消えた。土佐日記しかり、破り捨てたくなるほど自分で嫌になるような作品に力が宿るのかもしれない。自分語りのつらみ。
2024年12月16日 午後10:42
「禽獣」の非情に打ち拉がれた私は、いまや「抒情歌」にある別の胸の苦しさに翻弄されています。目線は確かなままにめくる頁の指先が震え気が遠くなります。あなたはこの私の浅学菲才には、お笑いになるどころか一瞥さえありますまい。ならばどうかここに漏らす不遜な感嘆をお許しください。あっぱれ
2024年12月17日 午後6:41
国立科学博物館「鳥 〜ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統〜」とても良かった。まず来場された方々が楽しそうにされている様子が印象的で、鳥を調べ考えてきた方々の軌跡、それを見せるためにまとめる方々の工夫、何より鳥そのものの多様さと魅力に引き込まれ、全体的に今の自分にすごく響いた。
2024年12月19日
“「彼らは私に自分の額縁を作ることを禁じている」とエドヴァルド・ムンクは1906年に書いているが、注目すべきことに、ノルウェー語ではなくドイツ語で書かれており、とらえどころのない「彼ら」の正体に関する追加の文脈は提供されていない。”
“この謎めいた発言は、この芸術家の額縁が同時代の人々の一部に特に好評ではなかったことを示唆しており、実際、他のいくつかの情報源から、ムンクの額縁が頻繁に議論や論争の対象となっていたことが明らかになっている。”
2024年12月21日
ひとは自らの志向する、または身に覚えのあるアプローチを遠くにいるようなひとに見つけたとき、そこに何か自分にはない爽やかさを感じ、自省することがある気がする。それは別の時代を生きた人、遠い土地に住む人、あるいは異なるジェンダーの人であることもある。ここで私が思い出すのはヴォルフガング・ティルマンスだ。彼はシニカルさを嫌う。でも私は時々シニカルになってしまう。そんな自分を嫌だなと思いつつ、それは今では大切な護身術の一種になってしまった。そう思えば尚更いろんなことが嫌になるけど、そこを見つめずに、対外的にも偽るのは違う気もする。そんなことをぼんやり考えていたある日、たまたま立ち寄った近所の市民文化施設で、ある振付師でタレントの方の講演が行われていて、予約なしでも聴講できるというので参加した。その方は、クィアで複雑な家庭環境に育ちながら、人と関わり向き合いお仕事に邁進されて来られたことを、にもかかわらず笑いを交え、出会った人への感謝を交えながらその日せきららに語られた。明るくて可愛らしくてでもどこか少し儚さのあるとても素敵な方だった。最後に司会者の方が、語られたその方の人生に触れながら、でもそんなに明るくてすごいですねというようなことを言った。その方はそうですかねぇと謙遜しながら「でもこんな風にしか生きられなかったのだと思います」と笑った。それが記憶に焼き付いた。そしてなんとなくティルマンスのシニカルの否定と重なった。私が憧れ惹かれ共感するのは、そんな前向きさであったことに思い至ると同時に、自分の未熟さに恥ずかしくもなる。私はティルマンスと彼の作品に学ぶことがたくさんある。でもティルマンスと私は違う。違うということに前向きさを見出せることもあるかもしれない。謙虚に学びながら、違いの細部を確かめて、自分の道をみつけたいとおもうのだった。
2024年12月25日 午後7:08
こういうのも大事かと思ったので、最近Xを以前より頻繁に更新するようにしてるなかで、改めてSNSって不気味だな、やだな、って思うことは多々ある。誰にやれといわれた訳でもないのだからまじで嫌になったらやめればいいんだし、適当にぼちぼち続けたい。たまに更新するより頻繁にやる方が自分のダメなとこ・キモいとこはもちろん、書き言葉の癖も目の当たりにして向き合う感じがある。周りの人のことも改めて冷静に見れたり、人への想像力や教訓も身につく気がする。されて嫌だったことは人にしないようにしようとおもう。
2024年12月25日 午後7:18
和田唯奈「ぽっかりちゃん」読んだ。次のページをめくったらびっくりしたり、めくるごとに引き込まれていく絵本特有の体験やリズムに改めて気付かされたり、彼女が構成する絵画空間の多様な取り組みをゆっくり観ることができて、和田さんという作家を理解するうえで大事な作品のような気がしました。
2024年12月25日 午後7:20
今年は前半は地味・地道だったけど後半は瞬く間だった。反省点も多々あるけどいっこずつ小さな課題や目標に分解したいな。新しいことにも挑戦した。回帰と越境を蛇行しつつ、方向感覚を失わないようにするかんじ、、きょう、日就月将という言葉を知ったけどそうあれたらいいな、自分の納得いくかたちで
2024年12月26日 午後6:50
動物・植物・バクテリアなどと(共同)制作する作家さんはつい注目してしまうけど、ただ自分がそういったアプローチを正面から取り組むことにはずっと躊躇いがあった。あくまでイメージを借りるていでアプローチするのだ、という建前を内心で唱えつつ、しかし、同時に、染料・顔料・展色材・支持体といったものは、植物・鉱物・石油・皮膚・骨・卵・乳などから出来ていることもずっと気にしていたのです。今年から作品に羊毛を取り入れてみたのは、そんなところにそろそろ手を入れなくてはという意識もあった。ただ絵画という設えや絵具など馴染みの素材だと、逆に動きずらい感じもあり、少し別のところにいく必要があったんだとおもう。それらの作品は、天然繊維と化学繊維、金属ワイヤー、メラミンスポンジなどが組み合わさって出来ている。
メラミンスポンジは、別名では「Magic Eraser」など、「消すもの」という単語が入っていることが多い。こういうことをおもうとき、やっぱりスパイラルジェッティってロマンやなと思うけど、でも私は多分また違うので、そういうことについてもっとちゃんと考えなきゃなんだろうなー。
2024年12月26日 午後7:23
私は言葉が別に得意ではないし、こんにちちょっとした言葉選びにもエクスキューズがいるのに一度にできる話の範囲なんて限られていてその限りにおいて解釈や判断をされたり何か切り取られて伝えられたり、探られたり、面白がられたり、自分のわからない場所でそういうのが起きてる感じが悲しかっただけ
2024年12月28日 午前10:11
Twitter、鳥のロゴに黒目がついてたときからしてた(これ2代目)しmixiも前略プロフもヤプログもふみコミュもみゅうはぁともハンゲームもリヴリーもmf247もおもしろフラッシュ倉庫も好きだったしy2kも好きだけど私はそんなに昔のインターネットをやたらと懐古し続けるひとの気持ちわからない(懐古してる)
2024年12月30日 午前9:10
昨日はとにかくお休みがうれしすぎて、喉が渇いたときに水を飲むみたいに眠りまくった。夜はたねさんのおうちでとんかつをいただいた(おいしかった…)そして帰ってまた爆睡した
今日こそ大掃除するぞ
2024年12月31日 午後5:36
ここに書けるようなことは少ないのだけど、冷蔵庫に貼った今年の目標リストは割と叶えられ、今までと違う集中の仕方が出来てけっこうよい1年だった。もちろんできなかったこともあり、体調や自己管理不足など反省もあるが来年も引き続きやってゆく、今年も仲良くしてくれた人たちありがとうの気持ちだ
ともあれいまいまは、へとへとだ
2024年11月4日 午前0:39
私は低出生体重児というわけではなかったが、幼児のころは日常生活でハンデが生じることも多くあったとおもう。とはいえ当時の私はその事実と自意識にけっこうギャップがあり、自分に対する周囲の対応に困惑し苛立っていた。サッちゃんという童謡が苦手だった。そもそも歌詞に出てくるのはサチコなのに紗千である私に彼女を投影し、大人から半笑いで歌われるのは正直いつもイライラした。特にサッちゃんはバナナを半分しか食べられず、それは彼女は身体がちいさいからでかわいそうだという歌詞は実に不愉快だった。というのも、そもそも当時の私はバナナがあまり好きではなかったからだ。私がバナナをたくさん食べないのは身体のせいでは断じて無いにも関わらず、「おかしいね」「かわいそうね」とうたわれる(今思えば単に微笑ましい眼差しだったのかもしれんが)ことに対し憤慨した。でもその当時のわたしは返す言葉を持ち合わせていなかった。正直いまも、あまり冷静には聴けず、やるかたない思いになる。日本全国に同じおもいをするさっちゃんも多いのではないだろうか。苛立ちながら同時にしかし、相手の勝手な解釈に則り、それに反発するかたちであえてバナナをたくさん食べるといったことも、ずいぶんバカバカしい話ではないかとも思っていた気がする。形と解釈にたいするあるべき態度とはなんなんだろうな。
2024年11月6日 午後8:17
ヴォルフガング・ティルマンスに惹かれる理由のひとつは、ひとたび彼の展示空間に立てば(あるいは写真集をめくるときでさえ)、自分の身体のスケールから解き放たれるような身軽さを感じられるからだった。例えばあなたがもし200号の絵を前にすると、「大きい絵だ」と感じるだろう。けれども彼の巨大な写真を目の前にすれば、それが大きいのではなく自分が小さくなったかのように感じるかもしれない。つまり自分自身のこの身体と、目の前の大小多様な画像群は、まるでベクターデータが解像度と無関係に存在できるのと似ているかのごとく、尺度の単位から解放された空間にあるのではないかという感覚を与えてくれる。それはきっと、彼が天体写真と接写、それからスクリーンショットを並列することと無関係ではないだろう。
2024年11月9日 午後9:46
スケールや形のこと考えてるうちにロバート・スミッソンのことを思い出したんだけどスパイラル・ジェッティ制作時の話はとてもよい。
2024年11月13日 午後0:36
唐突につぶやくとWeibermacht的なものへ憧れを持つのはその人の勝手だけど、残念なことにわしはそんなごっこ遊びは全然向いてないだろう。でもそういうのが好きな方々はたくさんいるから、需要と供給は成り立つんだろうな…。それは別にいいんだろうけど。。わしって一体。。。。
2024年11月13日 午後8:12
20世紀初頭のドレスデンにて結成された、芸術と生活の境界の溶解・一体化を志したとされる、表現主義の芸術家集団・ブリュッケは、作品と展示空間の仲介者ともいえる額縁を作品と分かち難いものとして考えていた。
2019年開催のブリュッケ美術館の展覧会:
2024年11月13日 午後10:32
ロシア国立美術館研究員のОксана Лысенкоさんは額縁の歴史を専門としており、2005年にはロシア国内初の額縁をテーマとした展覧会を企画している。
«Одеть картину». Художественные рамы в России. XVIII - начало XX века
2024年11月14日 午後0:06
額縁、それはまさに「周縁」…。
2024年11月17日 午後10:12
以前は無限に運べた重いものが最近全然持てなくなっててショックだった。筋トレ、だよお。
かねてより作品の(アン)ポータビリティになんとなく意識的なところがある。作家によってそれぞれ色々あるだろうが、すくなくとも自分にとっては作品が「運びやすい」ということは、けっこう重要なことのようにおもう。2015年ベルリンで画材屋から手持ちで運べるキャンバスサイズの限界を感じた。その翌年は毎週広島から東京までバスや新幹線の手持ちで作品を運んでいた。改めて語るにはあまりに素朴にきこえるかもしれないけどなんか重要な経験だった。ものがAからBへ移動することは大きくても小さくてもひとつの達成だ。多くのアート作品は、けだしほぼ眠るかそのまま消えてゆきがちなもので、時代や環境など複数の条件がぴたりと揃った瞬間・期間にその力が忽ちに立ち上がる、といった類いのものなのかもしれない。であるならば、その意味合いにおいて理にかなっているのかもしれないが、しかしどうも今のところの私は特定のデバイスや動作環境に依存しがちなデジタルメディアよりも、顔料・染料・繊維・みたいな素材に傾きがちだ。もちろんこれらの素材が「デバイス的なもの」と「動作環境的なもの」と無関係だと言っているわけでは全然ない。
2024年11月18日 午後8:40
ティルマンスの写真集に掲載されている彼のテクスト「The Cars」を読んだ。
「10代のとき借りた車で街中や田舎道を運転する間の、個人的で自由な時間。だって車に特有なのは、バスや電車と対照的に個人的で自由な空間なのだから。でも車は何よりもまずaからbへ移動するための手段であり、感傷的な意味合いを過大評価すべきではない。」
「車は必ずしもステータスの証とは限らず、単に必要に迫られたものだったりする。(…)車を所有する何百万もの人々にとっては、それがどんなに小さくても古くても速くても遅くても関係なく、人生におけるひとつの大きな分岐点だ。」
2024年11月19日 午後11:50
シルヴィア・プラスの「ベル・ジャー」を読んだ。
目の前の現実への策案、プレッシャー、絶望と妄想に、自意識と潔癖が混ざり合い、じわじわと病に視界が狭まり混沌としてゆく過程は、けっこう引きずられるので休み休み読んだ。マイク・ケリーの作品にも引用されてる。主人公エスターはたしかに深刻に病んでいくのだけど、絶望するような出来事に加えて勝手な臆測で結論づけ、更にひとり落胆…みたいな思考パターンや衝動的な行動の繰り返しは、レビューとかでもみんな書いてるけど、なんとも身につまされますな。
2024年11月20日 午後7:29
わたしは一貫して学校が苦手。けっきょく一度も馴染めたことなかった(授業を受けることは好きだったけど)。小学校も中学校も行かなかった。ある日わたしは、どこかの小さな部屋に行くことになった。窓には鉄格子がついていて、木の絵を描くようにいわれた。バウムテスト。空に太陽と鳥、太い幹にふわふわの葉が生い茂り、たくさんのリンゴが成る木の横で女の子と動物が仲良く並んでる絵を描いて見せると、以後そこへ行くことはなかった。小学4年の担任の先生は電話で「さっちゃんは学校に『行けない』の?『行かない』の?」と聞いて、行かないのだと伝えて切った。授業にいないから先生も成績の判断のしようがなく通知表の評価欄はいつも斜線だけでそのときのお母さんは悲しそうだったけど、両親と家庭教師の先生にはすごく感謝している。メンタルヘルスのせんせい?みたいなのがなぜか毎週家にきていたときもあったけど、そのせんせいの方がむしろずっとしんぱいな感じがあった。お互いの人生の折れ線グラフを書き合ったりして、せんせいの人生のくぼみ部分のわけをきいたりした。
2024年11月22日 午後7:56
高村(長沼)智恵子を少し調べていた。夫・光太郎について、智恵子が病に至る前の彼のあり様を批判する視点というのは無論あろうが、やっぱり、全体として私はなんともいえずにいる。智恵子の病が気の毒だったのは違いないが、なんだかただ、両人への好感のようなものが増すばかりでいる。なぜかふと映画ドライブ・マイ・カーを思い出す。主人公(特に後半)への若干のなんやねん感はある気もするが、かといってドライバーの子が不憫だとか都合よく利用された等とも私はおもわない。そう見ることはむしろ彼女に失礼な気もする。高村夫妻とは全然別の話だけど。
2024年11月26日 午後0:49
陶芸体験。なかなかむずく普段の表現での課題点と同じ困難が粘土のときにも出る点もしてなるほど感。ところで適切に形成しなければ焼くとき爆発するらしい。知ってたけど改めて爆発とは素朴にやばくて反芻する。爆発。今まで用いたいかなる素材も爆発する可能性などなかった。爆発への忖度としての造形。当たり前のようだけど、粘土では、摘んだ指先が直接ことごとく立体的な形になってあらわれるということがなんだか新鮮に感じる。にもかかわらず意外と意識と形が結びつかないように感じて困惑する。それがまた楽しいけどすでに私は広げた風呂敷があるため陶芸は一旦は体験遊び息抜きに留めておきたい。
2024年11月26日 午後0:51
特別なひとがいたとしてその人と同じジェンダーの人とちょっと関わったからっていちいち深い意味合いをもたれていたらこっちはまじでなんもできんのであって、なーにがジェンダーバランス不均衡へのアファーマティブアクションの必要性や。寝言は寝てるときに言って頂きたい。なんとなく一回消したけど再投稿した。ただのイマジナリーフレンドとのダイアローグなんで。せきらら(世界はキラキラ)に生きてゆきたいんで。とにかく抑圧(勝手にしちゃうようになるの)はやなんだもん。だから言いたいこといっただけだ。別にどうせ無なのでいい。
2024年11月27日 午後0:22
7年前いよいよ始まったかに思われる私の芸術の道を振り返ってみればその出発点はこんにち当事者性とも言い換えられる私小説的表現といかに距離を設けるかという葛藤ではなかったか。然らばせきららであれ。けれどそこに溺るるなかれ。あえて自己を露呈する日があれどそこにだらしなく立ち止まるな。しかし高村光太郎はいう、「美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識というようなものだけでは決して生れない。そういうものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあっても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。」と。なるほど、愛のやりとりとはなんだろう。智恵子にきいてみたいものだ。他方、我々は「ふだん愛の言葉を必要としない」そうだ。「けれども、いかなる関係にも危機は訪れる。愛の言葉が必要になるのはそのときである。」ここに手に取る別の本から、そんな声が、今きこえる。「ひとは、ときに滑稽になる勇気をもたなければ、前に進むことができない。」果たしてこのようなわたしの有様もまた、吉本隆明ならば一人相撲というのだろうか。
2024年11月27日 午後3:13
なんかさいきん文体を模索しとるな
2024年11月28日 午後0:46
あんまよく知らない(すみません)けどキラキラって単語も今だとちょっと政治的になるかんじだったのかあ、たいへんだ
2024年11月29日 午後0:55
文字にフォントがあるように、うたに声があるように、絵には絵具があるのだと、そう言っていいのだろうか。でも文体が変えれば文章の印象はずいぶん変わる。それはフォントや字・行間とは別の問題で、かつその組み合わせの妙もあるのだろう。絵にとって文体のようなものがあるとすればそれはなんだろう
2024年11月29日 午後7:19
私はジャンルや媒体を問わないいわゆる領域横断的な?作家に憧れる。私の「作風」が固定してないことの理屈をちゃんと自分で把握したい。一貫したテーマや概念的なものなどを提示できれば解決すると考えていたがどうも息苦しさだけが増す。もっと表現の仕組みから自分なりに把握する必要がある気がする。