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2024年10月1日

体調不良。ごはんを食べて、水をたくさん飲んで、たくさん寝た。そしたら結構回復した気とおもう。


2024年10月6日

朝からこの間の展示の荷物を受け取ったあと、東京都現代美術館の「日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション」を観た。近況や展覧会の感想などしつつビリヤニとソフトクリームを食べて、お酒を飲んで楽しかった。でも私の気分が暗すぎた。


2024年10月10日

ラファエル前派が額縁デザインに革新をいくつももたらしていたらしいことを知った。特にロセッティがいろいろやってたらしい。


2024年10月14日 午後4:21

アートコレクターズ2024年10月号 令和のペインターを読んだ。


2024年10月25日

レンブラントのHerman Doomerの肖像画をみた。

彼の額縁を製作していた(肖像画を描いてもらった支払いの代わりに製作した?)職人であり友人でもあったらしい。


​​​​2024年10月29日 午後8:24

めがねを失くしてからずいぶん経つけどまだ見つからない。おんなじ形のが意外と売ってない!もしめがねの形がかわったら、またコロコロ変わって自分がない人だとか言われるのかなあ。でも本当はそんなのの実態はただのロールプレイで、本当にどうでもいいことだとおもう 自由とか強さってそんなのじゃないとおもう。

あーあ

つまんない


2024年10月30日 午前5:43

社会一般が要求するドレスコードをあえて読まないかっこよさはあるだろう。そして似合ってればとても素敵だ。しかしそれもまた一種のドレスコードと言える。一見強く自由にみえたとしてもそれが成り立つ条件が崩れたとき途端に脆弱なものになることを留意すべきで不用意に賞賛することに私は感心しない。

そんなことより今のわたしに必要なのは、もっと別のコーディング技術なのだわ。。。態度が形になるのも大変結構だが、形と態度がのべつ結びつけられるのはときに息苦しい。形から解き放たれた態度のありかたもないものだろうか。

2024年9月15日

podcastを聴く。身体的な条件が、その人の感性にどんな影響を与えるかという話として、バークの崇高の条件に「緊張状態」があるということをあげて「肩こり」を「世界を崇高だと思いがちな人」の諸条件としてあるのではないかという話が面白かった。

繊維を針でつつくとかたまりになっていく。不思議だな。


2024年9月19日午後10:36

やっぱりじぶんのルーツというか、根っこに植っているマイクロポップ的こころ・志について最近あらためておもう。


​​​2024年9月21日

展示が始まって最初の土曜日だった。天気もよくてのんびりした日だった。リバーのサンドイッチを食べて、自分の制作のことやリバーについてや手芸のことなどのお話を香里さんとした。くまのブローチをいただいてとてもうれしかった。ほーちゃんに2年ぶりに会えた。めちゃくちゃかわいすぎた。朝と夕方ごろに、次にリバーで展示される方が見学に来られていて、少しお話したりした。


2024年9月22日 午後0:58

雪と雪だるま。

水蒸気は普段から身の周りを漂っているけれど、気候の条件が揃わないと「雪」として認識することはできない。私たちの体温は雪にとって高すぎるため、雪の粒子に触れると相手は途端に溶けて消えてしまう。そのいっぽう、雪の方が多量になれば、こちらの暮らしに困難を与えることもあるし、かたまりに触れ続ければ凍傷になる。そんな雪と私たちの関係と、その間にできる創作物である雪だるまへの関心。


2024年9月22日

村上春樹の一角獣と雪の話をした。

コーヒー、おいしーと言いながら飲んでいてなんかうれしいなとおもってわたしもすすった。


2024年9月29日

個展の最終日。いろんな方が来て下さって、お話した。今回の展示は結構ゆっくりひとりひとりとお話できたとおもう。なんか意味わからないくらいつかれて、展示風景の撮影もわすれて撤収してしまった。お料理でも、伝統的・ポピュラーなレシピを忠実につくり、その精度をあげていくやりかたもあるとおもうけど、そうではなく、規範から少しずらしたり別のものと組み合わせる実験や朝鮮の結果できたものを「創作料理」と呼んだりするように、自分も創作的にマイクロポップの精神を実践していきたいのかもしれない。

2024年8月14日

京都市京セラ美術館「村上隆 もののけ 京都」

国立国際美術館「梅津庸一 クリスタルパレス」を観ました。

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