1月1日
年末年始、ひたすら大掃除して疲れたら眠るを繰り返してる。大晦日の夜に観た夢は初夢じゃないんだっけ。じゃあこれは2024年最後の夢ってことになるのだろうけど、それは竹藪の夢だった。わたしは夢の中でも疲れていて、竹藪の中にある小さな広場みたいなところにたどり着いた。そこには白いふかふかのお布団が敷かれていて、思わずもぐってぐっすり居眠りした。目が覚めたら見知らぬお布団の中で、一瞬の「?」のあと、やるべき何らかの作業をはじめたんだけど、やっぱりちゃんと戻って続きをやろうとおもって起きて歩きはじめているころ、目が覚めた。歩きながら何人かの知人とすれ違った。
1月2日
雑務が本来終わらせたいところまでまだ到達しない。大学のとき好きだった(またはもっと真面目に受けとけばよかったなど未練のある)講義のレジュメ、いまだにとってある。みんな捨ててるのかな。2年生のとき描いたマルティーニの受胎告知の模写はまじで目も当てられないほど下手なのだけど、未練というより反省・教訓の結晶として残してある。来月から始まる目黒区美術館の展示は行こうと思う。
1月4日 午後7:09
実家を出て10年が経つ。数えるとその10年間で7か所に住んでいた。思いのほか多く、そのときの自分はあまりにたやすく引越しすぎではないか、とおもう。でもいずれにも後悔はなく、すべてがそのときのわたしにとって必要な引越しだった。わたしの故郷は山と海に囲まれていて平地がほとんどなく、山の斜面に家々が建ち並んでいる。窓から外を眺めれば、そこには別の山、というか住宅が密集するかたまりが壁のようになっている。内陸で生まれ育った人のなかに海へ強い憧れをもつ人がいるけれど、わたしは平地に流れる大きな川や広い空をみると「べつの場所」だと思う。それは特別な気分だ。
先日ある展覧会でみた作品で埼玉の入間川の伝説を知った。空に二つの太陽が昇り草木田畑が枯れ果てたので弓矢の名人に片方を狙わせたという話。埼玉の平地に横たわる川に二つの太陽が浮かぶ様子を想像すると、なぜか身に覚えのあるような気がする。
埼玉で朝の白い太陽の光をみるとよく厳かな気分になる。しかもそれは川沿いを歩いていたときだったりして。この伝説によれば、片方の太陽は魔もので、名人が見事それを射止めると3本足のカラスに変わったそうだ。天空に光る、輪郭のぼやけた白い丸が、真黒の3本足のカラスに成り変わり、音もなく落ちていく光景もなぜかやけにリアルに想像できるような気がした。
異郷で描かれた絵画をそれが描かれた現地で見ると、その土地の気候、つまり光がいかに作品の色彩に影響を与えたかを、実際の体感として理解できる気がするが、太陽の光の見え方は、もちろんその土地の地形によっても大きく変わる。つまり作家の住む場所の見晴らしが作品に及ぼすものもまた、やっぱりあるのだろう。
1月6日
「縦の空間」の構想について。それは2019年の「空中水槽/水中空港」という作品に端を発する。当初、室内空間の設えを頼りに描かれ始めた怪獣の連作はその閉塞的な場をいかに解体するかという過程でもあった。
それはシルヴィア・プラスが小説で綴るガラスのベルジャーや、あるいはワーナー・ブラザーズ映画のタイトルロゴ映像の冒頭における街並みの俯瞰(天空ではなく水中のように歪む、表面または反射でもあるイメージ)にも重なるかもしれない。
つまりわたしは怪獣の絵画の時点から、外側と内側への複数の視点が、鳥瞰(虫瞰)透視、同一の空間にありながら、同時に「移動」を意味するような1枚の絵を目指していたのだろう。そして、かねてより意識していた怪獣の問題(他者、その表現の実験場としての姿や空間をいかに描くか)が整理されないまま同時進行され、その結果、怪獣の描写はますますなおざりにされ、だんだん丸粒になっていった。
1月10日
父がおもむろに防刃手袋をプレゼントしてくれた。わたしは冬に指先の切傷をすることが多々あるんだけど、数年前のお正月に指を縫合して以来怪我しなくなっていたが最近ぼーっとしてるので改めて気を引き締めたい、、怪我も病気もやだ
1月15日 午後7:33
なんだかな………
むなC
つまんない………
勝つ?みたいな方法があったとして、勝ったところでそもそも自分にとって虚しいゲームにははじめからのらないというのは、たとえ誰にどうみられても、なんといわれても、長期的にはむしろ大事なことだと思ってやってきたしこれからもそうしていきたい…
1月17日 午前5:27
個人的な関心において2022年は改めて振り返るべき重要な同時多発的なものがあったようにおもう。この時期わたしは生活の一部が変わり、またはじめて雪をモチーフとした作品を発表したが、ほかにも国内外で水や空気を扱う作品が多く発表されている。のちにわたしが関心をもつことになる羊(毛)を扱った作品もいくつか見られる。
1月18日 午後1:18
シルヴィア・プラス 小澤身和子訳「日記 一九五〇年~一九六二年」を読んだ。ベル・ジャーを思い出しながら読む。その文章力で自身の状態や人をどうみてるかを正確に正直に分析しようとするさまに改めて惹かれる。
問いの設定や思考のプロセス、執筆業において担う(担わない)領域、あるいは教育、より他分野、つまり「仕事」について書かれた部分がよかった。
ただプライベートなところについてわたし自身をふりかえるとき、わかる気がする部分と全部にはのりきれない感覚が宙にふわふわ浮かび、その脇にはいまひとつ感想が出てこないルイーズ・ブルジョワ展の景色も見える。
これはわたしがまだプラスほどの分析力をもちあわせていないことを示しているが、分析が進んだとしてわたしはそれをどのように使うかにきっと慎重であるべきで、そのことに怯えているところもあるのかもしれない。
閑話休題。少しだめなとこのある人を目くじら立てて批判するより、そもそも人って多かれ少なかれだめなところあるものだと先に自分を露呈することで周りも少し楽になれるときがある気がするがそれは自分に特権的なとこなんてないんだいう思い込みの前提のせいで実際にはそうでもない瞬間もあり、ようは反省もある。自分なんて少しの力もない存在なんだと言っている人こそつい猛威をふるってしまう事態は往々にしてありがちでもある。
1月20日 午後7:37
ある時期以後のマルセル・デュシャンについて書かれた文章を読む。https://note.com/koritakada/n/n95042eec5027
むー。
でもこれってぞくにいう、ふぁいやーってやつにもみえる。
アヴァンギャルドとヌクモリティ。
1月23日
人がつくってくれたごはんをその人と食べるとなんか元気になる。なんでだろう。ふつうのふしぎの話。
1月25日 午前10:32
ピーピピピピピカソもダヴィンチも〜♪
1月29日 午前8:52
カズオイシグロの「日の名残り」を読んだ。良かった、。とりあえず途中からおもわずココアがのみたくなって、熱々ココアをのみながら読んだ。というのも、お話はココアが出てくるところから更なる展開へ進むからだ。そう、いわゆる「ココア会議」である。そしてラストへ。。
ズ…(ココアをすする音)
映画版も観ちゃった。
スティーブンスの「信頼できない語り手」としての一人称視点の心理の推移と機微が小説の良さだとすれば、それは映画版ではみえずらくなってしまうけど、役者さんの演技がよかったし映画として再構成するうえでの要約、解釈、それを色付けるための表現、あえてかなり変えてしまうシーンなどを見つける原作とセットの楽しみ方をした。スティーブンスの語り、それはたとえば「憶測、憶測、憶測に過ぎません。」だとか、相手の言動の読みに確信もてないかんじ、自分に言い聞かせるような自己問答、あのとき内心こう思ってたけどうまく表に出せなかったんだ的な独白は、ケントンに会うまでのドキドキ感を盛り上げてくれるし、だからこそ、この一人称の語りと旅の道程を一緒に体験していった末の最後のふたつの告白にブワ(;ω;)だ。もちろん映画も映画で泣けるのだがっ!読み終わって、映画を観て、改めてもう一度ぺらぺらページをめくり読むとなおさら、どこも更にことごとくぐっとくる。あっぱれ。たとえば二日目の朝。「過ち自体は些細かもしれないが、その意味するところの重大さに気づかねばならない」。
映画では、わたしの好きな「ココア会議」は別段強調されないが「いま飲んでるこれ、多分ココアなんだろうな…」みたいなシーンもあり、嬉しい。わたしもあのカップでココアをのみたい。原作と映画、セットで観て楽しむというのを久々にして、美味しいごはんをたらふく食べたあとのように、ふう〜という余韻にひたっている。