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2024年11月

2024年11月4日 午前0:39

私は低出生体重児というわけではなかったが、幼児のころは日常生活でハンデが生じることも多くあったとおもう。とはいえ当時の私はその事実と自意識にけっこうギャップがあり、自分に対する周囲の対応に困惑し苛立っていた。サッちゃんという童謡が苦手だった。そもそも歌詞に出てくるのはサチコなのに紗千である私に彼女を投影し、大人から半笑いで歌われるのは正直いつもイライラした。特にサッちゃんはバナナを半分しか食べられず、それは彼女は身体がちいさいからでかわいそうだという歌詞は実に不愉快だった。というのも、そもそも当時の私はバナナがあまり好きではなかったからだ。私がバナナをたくさん食べないのは身体のせいでは断じて無いにも関わらず、「おかしいね」「かわいそうね」とうたわれる(今思えば単に微笑ましい眼差しだったのかもしれんが)ことに対し憤慨した。でもその当時のわたしは返す言葉を持ち合わせていなかった。正直いまも、あまり冷静には聴けず、やるかたない思いになる。日本全国に同じおもいをするさっちゃんも多いのではないだろうか。苛立ちながら同時にしかし、相手の勝手な解釈に則り、それに反発するかたちであえてバナナをたくさん食べるといったことも、ずいぶんバカバカしい話ではないかとも思っていた気がする。形と解釈にたいするあるべき態度とはなんなんだろうな。


2024年11月6日 午後8:17

ヴォルフガング・ティルマンスに惹かれる理由のひとつは、ひとたび彼の展示空間に立てば(あるいは写真集をめくるときでさえ)、自分の身体のスケールから解き放たれるような身軽さを感じられるからだった。例えばあなたがもし200号の絵を前にすると、「大きい絵だ」と感じるだろう。けれども彼の巨大な写真を目の前にすれば、それが大きいのではなく自分が小さくなったかのように感じるかもしれない。つまり自分自身のこの身体と、目の前の大小多様な画像群は、まるでベクターデータが解像度と無関係に存在できるのと似ているかのごとく、尺度の単位から解放された空間にあるのではないかという感覚を与えてくれる。それはきっと、彼が天体写真と接写、それからスクリーンショットを並列することと無関係ではないだろう。


2024年11月9日 午後9:46

スケールや形のこと考えてるうちにロバート・スミッソンのことを思い出したんだけどスパイラル・ジェッティ制作時の話はとてもよい。


2024年11月13日 午後0:36

唐突につぶやくとWeibermacht的なものへ憧れを持つのはその人の勝手だけど、残念なことにわしはそんなごっこ遊びは全然向いてないだろう。でもそういうのが好きな方々はたくさんいるから、需要と供給は成り立つんだろうな…。それは別にいいんだろうけど。。わしって一体。。。。


2024年11月13日 午後8:12

20世紀初頭のドレスデンにて結成された、芸術と生活の境界の溶解・一体化を志したとされる、表現主義の芸術家集団・ブリュッケは、作品と展示空間の仲介者ともいえる額縁を作品と分かち難いものとして考えていた。

2019年開催のブリュッケ美術館の展覧会:


2024年11月13日 午後10:32

ロシア国立美術館研究員のОксана Лысенкоさんは額縁の歴史を専門としており、2005年にはロシア国内初の額縁をテーマとした展覧会を企画している。

«Одеть картину». Художественные рамы в России. XVIII - начало XX века


2024年11月14日 午後0:06

額縁、それはまさに「周縁」…。


2024年11月17日 午後10:12

以前は無限に運べた重いものが最近全然持てなくなっててショックだった。筋トレ、だよお。

かねてより作品の(アン)ポータビリティになんとなく意識的なところがある。作家によってそれぞれ色々あるだろうが、すくなくとも自分にとっては作品が「運びやすい」ということは、けっこう重要なことのようにおもう。2015年ベルリンで画材屋から手持ちで運べるキャンバスサイズの限界を感じた。その翌年は毎週広島から東京までバスや新幹線の手持ちで作品を運んでいた。改めて語るにはあまりに素朴にきこえるかもしれないけどなんか重要な経験だった。ものがAからBへ移動することは大きくても小さくてもひとつの達成だ。多くのアート作品は、けだしほぼ眠るかそのまま消えてゆきがちなもので、時代や環境など複数の条件がぴたりと揃った瞬間・期間にその力が忽ちに立ち上がる、といった類いのものなのかもしれない。であるならば、その意味合いにおいて理にかなっているのかもしれないが、しかしどうも今のところの私は特定のデバイスや動作環境に依存しがちなデジタルメディアよりも、顔料・染料・繊維・みたいな素材に傾きがちだ。もちろんこれらの素材が「デバイス的なもの」と「動作環境的なもの」と無関係だと言っているわけでは全然ない。



2024年11月18日 午後8:40

ティルマンスの写真集に掲載されている彼のテクスト「The Cars」を読んだ。

「10代のとき借りた車で街中や田舎道を運転する間の、個人的で自由な時間。だって車に特有なのは、バスや電車と対照的に個人的で自由な空間なのだから。でも車は何よりもまずaからbへ移動するための手段であり、感傷的な意味合いを過大評価すべきではない。」

「車は必ずしもステータスの証とは限らず、単に必要に迫られたものだったりする。(…)車を所有する何百万もの人々にとっては、それがどんなに小さくても古くても速くても遅くても関係なく、人生におけるひとつの大きな分岐点だ。」


2024年11月19日 午後11:50

シルヴィア・プラスの「ベル・ジャー」を読んだ。

目の前の現実への策案、プレッシャー、絶望と妄想に、自意識と潔癖が混ざり合い、じわじわと病に視界が狭まり混沌としてゆく過程は、けっこう引きずられるので休み休み読んだ。マイク・ケリーの作品にも引用されてる。主人公エスターはたしかに深刻に病んでいくのだけど、絶望するような出来事に加えて勝手な臆測で結論づけ、更にひとり落胆…みたいな思考パターンや衝動的な行動の繰り返しは、レビューとかでもみんな書いてるけど、なんとも身につまされますな。


2024年11月20日 午後7:29

わたしは一貫して学校が苦手。けっきょく一度も馴染めたことなかった(授業を受けることは好きだったけど)。小学校も中学校も行かなかった。ある日わたしは、どこかの小さな部屋に行くことになった。窓には鉄格子がついていて、木の絵を描くようにいわれた。バウムテスト。空に太陽と鳥、太い幹にふわふわの葉が生い茂り、たくさんのリンゴが成る木の横で女の子と動物が仲良く並んでる絵を描いて見せると、以後そこへ行くことはなかった。小学4年の担任の先生は電話で「さっちゃんは学校に『行けない』の?『行かない』の?」と聞いて、行かないのだと伝えて切った。授業にいないから先生も成績の判断のしようがなく通知表の評価欄はいつも斜線だけでそのときのお母さんは悲しそうだったけど、両親と家庭教師の先生にはすごく感謝している。メンタルヘルスのせんせい?みたいなのがなぜか毎週家にきていたときもあったけど、そのせんせいの方がむしろずっとしんぱいな感じがあった。お互いの人生の折れ線グラフを書き合ったりして、せんせいの人生のくぼみ部分のわけをきいたりした。


2024年11月22日 午後7:56

高村(長沼)智恵子を少し調べていた。夫・光太郎について、智恵子が病に至る前の彼のあり様を批判する視点というのは無論あろうが、やっぱり、全体として私はなんともいえずにいる。智恵子の病が気の毒だったのは違いないが、なんだかただ、両人への好感のようなものが増すばかりでいる。なぜかふと映画ドライブ・マイ・カーを思い出す。主人公(特に後半)への若干のなんやねん感はある気もするが、かといってドライバーの子が不憫だとか都合よく利用された等とも私はおもわない。そう見ることはむしろ彼女に失礼な気もする。高村夫妻とは全然別の話だけど。


2024年11月26日 午後0:49

陶芸体験。なかなかむずく普段の表現での課題点と同じ困難が粘土のときにも出る点もしてなるほど感。ところで適切に形成しなければ焼くとき爆発するらしい。知ってたけど改めて爆発とは素朴にやばくて反芻する。爆発。今まで用いたいかなる素材も爆発する可能性などなかった。爆発への忖度としての造形。当たり前のようだけど、粘土では、摘んだ指先が直接ことごとく立体的な形になってあらわれるということがなんだか新鮮に感じる。にもかかわらず意外と意識と形が結びつかないように感じて困惑する。それがまた楽しいけどすでに私は広げた風呂敷があるため陶芸は一旦は体験遊び息抜きに留めておきたい。


2024年11月26日 午後0:51

特別なひとがいたとしてその人と同じジェンダーの人とちょっと関わったからっていちいち深い意味合いをもたれていたらこっちはまじでなんもできんのであって、なーにがジェンダーバランス不均衡へのアファーマティブアクションの必要性や。寝言は寝てるときに言って頂きたい。なんとなく一回消したけど再投稿した。ただのイマジナリーフレンドとのダイアローグなんで。せきらら(世界はキラキラ)に生きてゆきたいんで。とにかく抑圧(勝手にしちゃうようになるの)はやなんだもん。だから言いたいこといっただけだ。別にどうせ無なのでいい。


2024年11月27日 午後0:22

7年前いよいよ始まったかに思われる私の芸術の道を振り返ってみればその出発点はこんにち当事者性とも言い換えられる私小説的表現といかに距離を設けるかという葛藤ではなかったか。然らばせきららであれ。けれどそこに溺るるなかれ。あえて自己を露呈する日があれどそこにだらしなく立ち止まるな。しかし高村光太郎はいう、「美に関する製作は公式の理念や、壮大な民族意識というようなものだけでは決して生れない。そういうものは或は製作の主題となり、或はその動機となる事はあっても、その製作が心の底から生れ出て、生きた血を持つに至るには、必ずそこに大きな愛のやりとりがいる。」と。なるほど、愛のやりとりとはなんだろう。智恵子にきいてみたいものだ。他方、我々は「ふだん愛の言葉を必要としない」そうだ。「けれども、いかなる関係にも危機は訪れる。愛の言葉が必要になるのはそのときである。」ここに手に取る別の本から、そんな声が、今きこえる。「ひとは、ときに滑稽になる勇気をもたなければ、前に進むことができない。」果たしてこのようなわたしの有様もまた、吉本隆明ならば一人相撲というのだろうか。


2024年11月27日 午後3:13

なんかさいきん文体を模索しとるな


2024年11月28日 午後0:46

あんまよく知らない(すみません)けどキラキラって単語も今だとちょっと政治的になるかんじだったのかあ、たいへんだ


2024年11月29日 午後0:55

文字にフォントがあるように、うたに声があるように、絵には絵具があるのだと、そう言っていいのだろうか。でも文体が変えれば文章の印象はずいぶん変わる。それはフォントや字・行間とは別の問題で、かつその組み合わせの妙もあるのだろう。絵にとって文体のようなものがあるとすればそれはなんだろう


2024年11月29日 午後7:19

私はジャンルや媒体を問わないいわゆる領域横断的な?作家に憧れる。私の「作風」が固定してないことの理屈をちゃんと自分で把握したい。一貫したテーマや概念的なものなどを提示できれば解決すると考えていたがどうも息苦しさだけが増す。もっと表現の仕組みから自分なりに把握する必要がある気がする。

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